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SHOWstudio: Dynamic Blooms by Nick Knight and Tell No One



http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=OuxwG19P5ec





ブルテリアの犬のブルーノ、アルフレッドとアンコーナの海に泳ぎに行ってしまった。。

犬に、おいてけぼりにされた気分である。

動物相手のせつなさはまた違うたまらなさがあるな。。

ジャンジャン!ジャンボ!ブッボ!バンビ!パチンコ!シルバン!ブルネット!ピッポ!
君のあだ名の思いつく限り呼んでみる。。


うまいもん食えよ、、、のびのび寝ろよ、、、、


今、このDVDが発売されるのを待っている。自分の物にしてひとまず安心したいと思っている。

Pina Bausch, ドイツのバレエダンサー、とても強くて、何か自分の大事なものを強く握られ、飛行機が飛び立つほどの力でさらわれてしまう気になる。ダンスは神的な表現方法だと感じさせる。

知ってる人、感づいている人、もちろん多いんだろうな?


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mQkFwrgr_zc


昔、”檻のなかのダンス”という本を読んだ。

自分の居る場所の狭さや、溜まり過ぎた発憤したい気持ち、そんな何かをとどめておけず我慢出来なくなって暴れて無秩序に体を疲労させるより、

運動したり組み合ったり踊ったりしたほうが、その我慢出来ない原因の核心を悟るか、そこへ近づくか、忘れることが出来るんだな、と感じた。


でも、”舞踏”はそんな単純な動きだけでは完成しない。


もっと見たい。。


Pina Bausch

http://www.pina-bausch.de/




男女の何年間かが数十秒に詰まっているような。



http://www.youtube.com/watch?v=DYVyH__yY6c&feature=related


http://www.youtube.com/watch?v=tOAZqY2h-nM&NR=1



Pina Bauschつながりで知ったけど、この三宅純という人もすごい。濃くて妖しいジャズ、緊張も余韻も新しい感じがする。


知らなかったーー。坂本龍一ぐらいの人だと思うんだけど。


http://www.youtube.com/watch?v=Z6cYGJd702s&feature=related


以前、エロティックな何かを作る。と書いたが、もし、将来デザイナーになる一人の人間が居たとして、その架空の人間の予想される人生を想像してみたい。
恐らく、何らかの学校に通い、アパレルの会社にデザイナーとして採用され、そこから経験を積んで行く、というのがデザイナーの人生の大部分だろう。
販売員から企画、デザイナーという経路もあるし、パタンナーがデザイナーの役割を果たすところだってある。
学生からいきなり独立、というのもあるかもしれない。まあとにかくいろいろあると。

デザインに真剣に取り組み始めた時期はいつであれ、デザイナーは絶対エロスを通ると思う。
子供のままのファンタジーだけじゃ、服は作り続けていけない。

文化の就職指導課の職員の方と、何年か前に何故か”学問としてのエロス”という話をしたことがあって、澁澤さんとか生け花は性器だと言った人の話で盛り上がった。読むべき外国の研究もその人は教えてくれた。
極端な話、コムデギャルソンなんて最高にエロスじゃないか、と。"SIX”とか、アートワークとか、何を想起する?あの赤、舌、さらけだされた感じ。その時はね。

文化で働いている人達というのは、教師に限らず、図書館の受付の人だって就職指導課の先生だって、事務の人だって、ファッションにやたら詳しい。そういうデザインプロセスのなかでもがくような感覚も知ってる。
どういう経路をたどって、そこにいるんだろ。

今の、私のイタリアでの上司は、物凄くエロティックな顔をしている。アルコールな顔をしている。とても素直に暮らしているからだと思う。しかし清潔で、香水はスパイシー。
日本人だけど生の魚貝類が苦手なあなたが好きよ、と言ってくれた。

そんな彼が”Look”とつぶやいたこの映像を見て欲しい。
Directed by Baillie Walsh     Massive Attack splitting the atom




 白い、どこかの国にある独房のような一面の白壁に、
自分の右手の人差し指だけが、どうあがいても離れない夢を見た。

そこに針っぽい、その指だけを吸い付ける、点の磁場を持った引力があるかのようだった。

でも不思議と、どうにかしようとしているくせに、無表情な感じでいたような、変な感じが残った。

何故か、どうしようもなく暴発した気分になって左手で右手を殴ったり、
右手から血の気がひいて無感覚になる感じがしていろいろ動かしたけど、
最後は、床にへたりこんで右手をだらしなく挙げていた。


今日って13日の金曜日で、ブルーノの誕生日!!!!!


 老人についてよく書く事が多いね、しかも少し老人との隔たりを感じる距離を感じるよ、と言われた。


そんなことないよ。私の老人経験(?)は人より豊かで、多いと思う。
実家ではずっと一緒に暮らして来たし、近所のおじいちゃんおばあちゃんも。

寒い冬に、高血圧のばあちゃんと低血圧のあたしと猫とで一緒に寝て、ばあちゃんあったけえ〜って思ったり、
いっぱい食わせてもらったし、寒いじゃろーが!っていっぱい着せてもらったし、
泊まりに行ったら、ふっっかふかの羽毛布団に寝せてもらったり。
こたつで並んで寝転がってテレビ見たり。高校生の時、車の運転教えてもらったり。
2年前に死んじゃったじいちゃんは、優しくて、犬猫に好かれてて、
コーラや、カレーや、バターたっぷりの超分厚い4つ切り(?)のトーストが好きだった。
ばあちゃんは、Skypeで話したりしてて、猫が見た〜い!!っていうと、喜びいさんで2匹ぐらい捕まえて抱きしめて見せてくれるもんなあ。

田舎のじいちゃんばあちゃんたちは、都会の老人の印象より、幸せそうに見えたりするんだ。
多くは、いろんな自分の「物」を持っているからだと思う。お金じゃなくて。
古い、思い出の詰まった家、庭でのんびりしてる犬や猫や、隣から紛れ込んで来る猫、耕す畑、みかんや柿や栗の木、花壇、着物、アルバム、風呂敷、座布団、家族、孫、ご近所さん、いっぱい。
それで、空が広くて、自然がいっぱいだから、日常や暮らしが、高い空や高い木や遠い景色や遠くの夕焼けまで広く大きく自然とつながっている感じがする。
東京の駅近くの家は、視界を狭めるものが多くて、そんな気持ちは感じなかった。

柔らかな日差しや木や花が作る奥行きと、ビルやコンビニが作るそれは、全然違う。同じ1メートルでも。
木の幹や花びらは触りたくなるけど、それらはそういう感情を呼び覚まさない。「手に取りたくなる」成分が不足してる。予想される「感触」の豊かさが足りない。

別にビルやコンクリートの質感や都会のイメージが嫌いな訳じゃないけど、どうせ抱きしめられたり寝転んだり走ったりするなら、その相手は草や土や布や動物や人間がいいな。


う〜ん、地震のせいで、その地方に日常的に営まれていた、普通の生活の幸せなバランス、環境が崩れてしまったところはたくさんあると思う。
自分の田舎の実家での暮らしを重ねると、胸がいっぱいになる。私はこの「自分の場所」を失いたくないと思うから。早く、被災してしまった人達や物が元通りに向かうように願う。



それと、今ジャケット2着縫いかけ。。今晩中には仕上げたい。。









I think that I think, therefore I think that I am


イタリアでも、毎日、新聞の一面トップは日本の東北地方太平洋沖地震。
がれきから出た死体の手足、子供達の放射線防護服姿、原爆と同じ構図のキノコ雲、津波に飲まれて跡形も無くなった街並み、ショッキングな写真ばかりだ。

どこか、昔の強制収容所、イスラエルやパレスチナ紛争の報道写真で見ていたような悲惨な現場、歴史の教科書で見た広島や長崎の焼け野原の跡などが、
時間や場所をずらし日本で再現されてしまったような感じがして、胸が痛い。

でも、新聞やインターネットのニュース、twitterやustreamなどで情報や人々の意見や各論理が嵐のように1分1秒のタイムロスもなく更新されているのを目の当たりにして、
なんとなく嵐の目の真ん中につったっている気分になった。少しだけ。

阪神大震災の時は、新聞やテレビが一番の情報源だったけれど、今思うと、情報操作による世論操作は発信源がある程度限られていた為、その手段はシンプルだったのか。
何かの保身の為に情報操作を実行する人にとって、今はやりづらい時代になったのかもしれない。

でも、twitterやインターネットのニュースを丸呑みにするのも、それもまたおかしいと思う。
自分の持つ論理がいかに正しいか、他人に同意を求めているだけのように見えるものもある。
混乱を煽るもの、自慰のような文章がすごく読みづらいもの。連鎖を楽しんでいるだけのもの。わからん。

天罰だとか、そんなとんでもないスピリチュアルな意見、一切信じる余地がない。地震は地球の地質活動だ。罪を罰するものではない。

自分の再評価を求めるような正義感を振りかざすように、聞こえてしまう。その素晴らしき意見が着地するのは、どこ?
解決策を持たず、ただ自粛するものも。


私の等身大の”正義感”の始まり、作用するところは、ただ、私の日本の家族や大事な人が無事か否か。
それから、耐えている人達が、早く楽になりますように。と思う。
そして、日本の復興なんだろう。


ロンドンに行って来たーーー!!って感じで、初めてのファッションショーはすごく良い思い出になった。


ショーのギリギリまでにミラノからロンドンに服やいろんな物を送りまくって、ショー前日の、今までの事を一挙にガーッとまとめあげるような作業の緊張感、

改めて見る、このブランドに関わる人々の人数の多さ、

スタジオのみんなの、今までに見た事無かったような顔、

ショーの最後、何ていうか、みんなが、”みんなを抱きしめたくなるような気持ち”を”ぶつけあう”(?)ような瞬間、

忘れないんだろうな。


そして、外国で働くことが初めてで、働き始めてからいろいろ試行錯誤してたけど、ショーが終わって大きくひと区切りついて、

こういうとき、どう動いたらいいのか、とか、誰がどのくらい仕事をしているか、どんな役割を担っているか、少し分かった気がした。


なんていうか、前に言ったドイツ人のデイビッドが一番まわりを考えて仕事しているな。よく気がついて、よく動く。準備も完璧。

いつもニコニコして明るいけど、差し迫った時にもネガティブな感情をあまり表に出さず、一般に私が感じるイタリア人みたいに気分屋で落ち着きが無い感じではない。

あるイタリア人は、イライラしてる時「ストレス!」ってそのまんま言っちゃうからな。そのまんま過ぎる感じが、よく性格を示している、と思うんだけど。笑

でも、今デイビッドは、ドイツに帰って手首の手術をしている。来週には帰って来るみたいだけど、右手首だし、手術がうまく行くといいな。


一度経験すると、次がすごく動きやすい。私は献身するほどに仕事に徹しよう。頼まれる仕事以外にも自分でやるべき事を見つける。大好きな人達の元で働く時間は。

でもやっぱり、何人か集まると、何人かの”働く人”に対して甘えて動かない人が出て来る。それはしょうがないのかな?個人の気持ちの持ちようだとは思うけど。


それと、ここでの研修期間が終わってから、正式に雇ってもらえることになった。いろいろ評価していてくれたことが嬉しい。


もうひとつ、昨日の夕方、アルフレッドと二人でショールームに行く途中のタクシーで聞いたんだけど、

うちのブランドがシンガポールから招待されて、ファッションショーをすることになったらしい。以前にもクアラルンプールやモスクワとかに招待されて行くことがあったみたい。

私は5月中旬に新人大賞の推薦でシンガポールのコンテストに参加することになっていて、まだ正式な日程はどちらも分からないけど、多分向こうで会えるね!ってなった。夜は遊びに行こう!って。

シンガポールへは、デザイナー含め3人ぐらいしか連れていけないらしいから、私もシンガポールでファッションショー手伝うことになりそう。

楽しみが増えて、わくわくしてきた。頑張らないと^^


ちょっとしたありがとうの気持ちも込めて、帰りのタクシーの中でアルフレッドの肩を揉んでおいた。肩や背中がこってるって言ってたけど、なんか柔らかかったなあ。。







Prada Spring/Summer 2011 Video Campaign


各社の繰り出すイメージ戦略の完璧さ、さすがだなあと思ってしまう。
このプラダはショーより数段かっこよくてシンプルで強くなっていた。

画面右端と下の黒の分量と働きに注目。


昨日、マックイーンが他界して1年経った。

なんとなく、マックイーンが時々、私に文章を書かせる気がするんだな。ちいさなひっかかりがなんだかこう、その動機に変な感じで作用している。

そういうこと、よくあるんだな。

何かに気付いて、もしくは頭の中で何かがあるきっかけで整理されて、それがいろんなものを巻き込みながら文章の形を成すこと。


そう、久しぶりにマックイーンの顔写真を見た。

数日前、坊主になったイタリア人がマックイーンに少し似てた、と書いたが、やっぱり彼とマックイーンは違う。

顔の作りや体型が似ていても、決定的に違う。マックイーンの顔はストレスまみれだ。写真で見る限り、若い頃から経年変化している。そして何か、戦うような立ち向かうような雰囲気をまとっているように見える。


うちの坊主イタリア人は。。お父さんと電話でキャッキャ話して、パートナーにでっかいサラダを作ってもらって、1日に何度もウインクをして、ムクムクしたペットのブルテリアに何度もキスをして、

何か動くたびに鼻歌を歌って、朝、シャワーを浴びる時には超イタリアらしい(愛だの恋だのを歌った)イタリアの歌謡曲をかけて、楽しそうにジムに通って、筋肉痛になって、とまあ楽しそうに見える。。


同じスポーツをしながら一緒に育ったような、同い年のスポーツ選手の友達がいるんだけど、その友達のお母さんが息子のことを、小さい頃からするとストレスやプレッシャー、勝ちへのこだわりで顔が変わった、と言ったのが忘れられない。

息子の成長をずっと見ているだろうから、その言葉はとても重かった。もう、小学生だった頃からすると、あどけなさや幼い自我は完全に消えたと思う。

その、目指すものに対する熱さが、顔を変えたんだな。強い集中力が目や口元を変化させ、無駄な行動、言動を制御するようになる過程はよく分かる。そして本当にやるべき事、次の技、自分への効率的なトレーニングを導き出すんだ。

とびっきりの負けず嫌いじゃないと、そしてそれに対して完璧主義でないと、こういった事は務まらない。


顔が変わるほどに、何かをするというのは、なかなか出来ることじゃない。中途半端な事やってたら、そうそう影響しないだろうし。


整形する人は多いみたい。私の友達も何人かした。

でも、それは、それまで自分の顔に積み重ねた、”自分の今までの行動”を消去したり作為的な更新をして、リセットさせたい、ということでもあると思う。

目、皺、たるみ、あらゆるところ、例え”直した”としても、自分の芯が変わってないなら、またすぐ似たような顔に戻るだろう。

もしくは、整形して無理矢理メスを入れた歪みが作用して、他人にとって自然じゃない不可解なマスク顔になってしまいそう。

そいつの人間性と顔がイコールで結べない。。マインドゲームはやりやすそうだな。




今日スタジオに行ったら、デザイナーと一緒に住んでいて、ブランドのビジネスや生産管理を担当しているアルフレッドがいきなり丸坊主になっていてびっくりした。


何か悪いことしたのかい、と思うのは日本人ぐらいなのかね。。


以前から、彼は少しアレキサンダーマックイーンの風貌に似ているな、と思っていた。

丸坊主にして余計それっぽくなった。

少し体型がぽやんとむっくりしていて、ちょっと落ち気味のボトムスを穿いていることが多いから。

でも、明るくて冗談ばっかり言ってる陽気で愉快なイタリアンだ。

ドイツ人の同僚に言わせると、彼が喋る英語は、一発でゲイだと分かるような喋り方(?)らしい。

私にはまだそこまでわからん。。。イタリア訛りっぽいだけかと思っていた。。


という訳で、なんでか知らんけど、髪切り祝いだ!と言ってお昼ご飯のあとみんなで「ブレッドバタープティング」を食べた。ジェラート付き。。

でも、太りたく無いからって若い子ばかりに食べさせようとする。あーでもおいしかったーーありがとーう!


あ、ちなみに、イタリアには髪を切ったお祝いにプリン食べる習慣は無いからね。笑


この前の金曜日、スタジオのみんなで夜じゅう飲んで遊びまくって笑いまくってもっともっと仲良くなった。

テーブルサッカー(?)をガコガコやったり本気のモスコミュールとか飲んだり、コケそうになりながら違うバールに移動したり、とにかく笑いどおしだった。

普段ではなかなか見ない、良い表情見せてもらったよ!!


そして、今作り始めた「エロティックな何か」についてはまた気が向いたら書きます。